白き翼のフラジール ep.01

小さい頃、僕はいつも彼に本を読んでくれとせがんでいた。白き翼と尾を持つ竜の彼、アンヘルに。
僕の家――ベルへイヌ東部国立図書館は僕の背丈の何倍もある巨大な本棚が壁を覆い尽くし、そこには古今東西のあらゆる書物が整然と並べられている。まだ幼い僕はこの"本の森"を彼と共に歩き、面白そうなものがあれば彼に読んでもらうのだ。
彼は昔世界を旅していたそうで、エメラルドグリーンの瞳を瞬かせキリル文字からルーン文字まですらすらと読み上げる。
とりわけ僕は幻想的な冒険譚や英雄譚が好きだったようで赤薔薇の謎を追い求め旅をする青年と少女の話だとか、国を救うため黒い悪魔と戦う王子と姫の話だとか、そんなものをよく読んでもらっていた気がする。いつだったか。彼に少年と竜の話を読んでもらった。

貧乏な家に生まれ、食い扶持を減らすために森に捨てられた少年は竜に拾われ、育てられる。両親に愛されなかった少年と長い間孤独な生活を送っていた竜。2人は森の奥で幸せな日々を過ごしていた。
……人間と竜。この2つの種族には大きな違いがある。外見と、寿命だ。人間は長くても100年程しか生きられないが、竜は500年生きるという。そう、共に寄り添っていた彼らは寿命差という壁によって引き離され、竜は再び孤独の身となる。彼らはその後どうなったのか?
少年を失った竜は泣き続け、竜の流した涙はやがて湖となり竜は少年の亡骸と共に湖の底に沈んでしまうのだ。

彼が最後の一文を読み上げた。物語は終わり、本の森に再び静寂が訪れる。普段は感想を尋ねてくる彼が今日は何も言わずじっとビロード色の本を見つめ続けていた。代わりに僕が彼に尋ねた。
「アンヘル。アンヘルは、もし僕が死んだらこの竜みたいに泣くの?」
「……そう、だな。大切な人が死ぬのは、悲しい事だからな」
そう呟いた彼の声と横顔があまりにも寂しげだったから。理由は、たったそれだけだった。
「じゃあさ、僕が竜になればいいんだ。そうすればお前とずっと一緒にいられるから」
きっと大人が聞いたら笑ってしまうような、あり得ない話。けれど僕はいたって真剣だった。
「クリス、何言って……」
「人間が竜になった話もあったしさ。ラウル民話の、竜の湖。それから……赤薔薇の眠り姫とかも実話じゃないか」
そう。この世界――メリアではごく稀に奇跡が起こる。図書館には過去に起こった"奇跡"について書かれた書物もあり、僕も何冊か読んだことがあった。だから、信じていたのだ。僅かな可能性を。そして、僕はまだその願いの果てにあるものを知らなかった。
「だからさ、僕が竜になるのも不可能じゃないだろ」

僕が彼にそう告げると、彼はとても悲しそうな顔をしたのだった。


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